ベネチア旅行の前に絶対学んでおくべきベネチア派の系譜

ベネチアには多くの美術館・博物館、そして100を超える教会が所狭しと集積しています。そして美術館はもちろん、多くの教会がベネチア派の画家たちによる祭壇画や天井画などを数多く所蔵しています。これらの中にはそれを見るためだけに旅する価値があるような作品も多くあるのですが、あまりにもそういった作品が多すぎて知識がなければ素通りしてしまう可能性が高いです。正直、それはもったいない。

西洋絵画史の中で、ルネサンス期のフィレンツェと並んで後の時代に大きな影響を与えたベネチア派についてある程度知っていると、ベネチアの教会や美術館巡り、いやイタリア各地の美術館、ひいては世界中の美術館での鑑賞体験がまるで違ったものになってきます。

ぜひベネチア派について興味をもって、ベネチア観光に臨んでみましょう。

ベネチア派とは

ベネチア派(Scuola veneta / venetian school)は、14世紀から18世紀にかけてヴェネツィア共和国の領域で発展し、その後ヨーロッパ全体に広がった絵画の流派を指します。ベネチアの画家たちは14世紀にビザンチン様式の伝統から離れ、ベネチア独自の芸術方式を発展させました。

同時代のフィレンツェ派が線描と遠近法を重視したのに対して、ベネチア派は色彩を重視したのが特徴であるとされています。いち早く取り入れられた油絵技法により従来のテンペラやフレスコ画では不可能であった広範な色彩表現を実現できるようになり、とりわけ光の効果が追及されました。粉砕したガラス片を顔料に混ぜるなどの工夫もみられます。

また、ベネチア派の画家は、教会や政府の依頼による従来の宗教的な絵画主題だけでなく、私的空間での鑑賞を目的とした、個々のコレクターの趣味や哲学が反映された新たな主題の絵画作品を生み出していくようになりました。従来は背景にすぎなかった風景や、官能的な女性美が主題として描かれ、画面構成も従来とは異なる表現が探求されていきました。

ベネチアが東西貿易で栄えて隆盛を誇った時代でもある16世紀のティツィアーノの頃が黄金期とされていますが、その後も脈々とその技術は受け継がれて発展し、18世紀のティエポロやカナレットなどの時代には、さらなる高みに到達しています。

参考ソース:
https://www.metmuseum.org/toah/hd/veve/hd_veve.htm
https://artistproject.metmuseum.org/toah/hd/vefl/hd_vefl.htm
https://www.khanacademy.org/humanities/renaissance-reformation/early-renaissance1/venice-early-ren/a/venetian-art-an-introduction

ベネチア派の作品は世界中の美術館に所蔵されていますが、ベネチアのアカデミア美術館やコッレール博物館などでは、この時系列的な変遷を踏まえた展示がなされているので、後述する巨匠たちの作品を中心にぜひじっくりと鑑賞してください。

アートの都で見るべきベネチアの美術館・博物館巡り

ちなみに英語では派閥のことをSchoolと表現します。作品のキャプションにvenetian schoolと表記されていることがありますが、これがベネチア派であることを示しています。

ベネチア派の巨匠と代表作

ジョヴァンニ・ベッリーニ (c. 1430–1516)

ベネチアにおいてルネサンスの絵画技法を先駆的に導入したヤコボ・ベッリーニの息子であるジョヴァンニ・ベッリーニは、兄のジェンティーレ(オスマン帝国に派遣されてスルタン、メフメト2世の肖像画を描きました)と共にベネチア派の初期の巨匠とされています。

1490s “Sacred Allegory” Oil on Canvas | Giovanni Bellini (Venetian), 1433-1516, Uffizi Gallery, Florence

ベッリーニは油彩技法を導入したことにより、ベネチア派の基礎を築いたことで知られています。彼の作品は、光と色彩の表現に優れ、宗教画だけでなく、肖像画、風景画と幅広い作品を残しました。その弟子には、後にベネチア派を代表する画家となるジョルジョーネやティツィアーノが含まれています。

1501-1502 “The Portrait of Doge Leonardo Loredan” Oil on Canvas | Giovanni Bellini (Venetian), 1433-1516, National Gallery, London

個人的にはやはりベッリーニ兄弟の作品は肖像画が素晴らしいと感じます。遠近法も未発達な風景画の表現は現代の感覚からすると未熟な出来栄えと感じてしまうところがありますが、肖像画の表現は完成されています。

ロンドンのナショナルギャラリーに展示されている総督レオナルド・ロレダンの肖像画は、塩野七生さんの「海の都の物語」の表紙にも採用されており、ベネチア好きにはおなじみかもしれません。

コッレール博物館では、ベッリーニファミリーとしてこの親子の作品が集められて展示されている部屋があるので注目してみてください。

ベネチアのハリーズ・バーで生まれたベッリーニというカクテルはこの家名から取られています。後述するカルパッチョもハリーズ・バー生まれでベネチア派の画家の名前からとられた料理名です。

ヴィットーレ・カルパッチョ|Vittore Carpaccio (1465頃 – 1525頃)

カルパッチョはベネチアのマッツォルボ島で生まれ、ジェンティーレ・ベッリーニ(ジョバンニの兄)に師事しました。カルパッチョの作品は、建築の詳細な描写や大胆な色使いが特徴です。また、彼の絵画には、当時のベネチアの都市景観や市民の生活がリアルに描かれています。

1490-1495 “Two Venetian Ladies” Tempera and Oil on Canvas | Vittore Carpaccio (Venetian), 1460/1465-1525/1526, Museo Correr, Venice

この絵はベネチアのコッレール博物館で撮影したものですが、イタリアのWiki(https://it.wikipedia.org/wiki/Due_dame_veneziane)によると、アメリカのゲッティ美術館の「Caccia in laguna」の下部に相当する作品だということのようです。そう言われると確かに上部のレイアウトが不自然ですね。

ところで、絵は見たことがなくても誰もがこのカルパッチョという名前は聞き覚えがあると思います。そう、カルパッチョという料理は、彼の名を取ったものです。日本ではカルパッチョと言うと白身魚をイメージしてしまいますが、ベッリーニと同じく、元はベネチアのハリーズ・バーで生まれた「薄切りの生牛肉に白ソースをかけた料理」に名づけられたものです。この料理の鮮やかな赤と白が、カルパッチョの絵画に見られる色彩を連想させるというのがその名づけの由来です。

ジョルジョーネ (1477–1510)

ジョルジョーネは、ベネチア派特有の色彩表現の確立に寄与した画家です。ジョルジョーネは風景画を単なる背景としてではなく絵画の主要な要素として扱い、その後の西洋美術史における風景画のジャンル確立における重要な役割を果たしたとされています。

中でもアカデミア美術館が所蔵する「テンペスタ(嵐)」という作品が重要作品とされているのですが、僕が過去に2度訪れたタイミングでは見つけられなかったので、また次の機会に見てきたいと思います。

1510 “Sleeping Venus, known as ‘Dresden Venus’” Oil on Canvas | GIORGIONE (Venetian), 1477-1510, Gemäldegalerie Alte Meister, Dresden

ドレスデンのヴィーナスとも呼ばれるこの作品は、夭逝したジョルジョーネは生前に完成させることができず、のちに背景をティツィアーノが完成させたものとして知られます。そしてこの作品はウルビーノのヴィーナスの元になった作品であるともみなされています。

ティツィアーノ・ヴェチェッリオ|Tiziano Vecellio / TIZIANO (1488–1576)

ベネチア派の黄金期を代表する最重要画家です。彼の作品は英米の美術館でよく見ますが、英語ではなぜかTitianと表記しますので知っていて損はないと思います。

若き日のティツィアーノの出世作となったサンタ・マリア・グロリオーザ・ディ・フラーリ聖堂の祭壇画「聖母子被昇天」。ベネチアでも最大級のこの聖堂の中央を飾るに相応しい傑作です。この色彩感覚が他の作家たちに大きな影響を及ぼしたことは想像に難くありません。

1538 “Venus, known as ’Venus of Urbino’” Oil on Canvas | TIZIANO (Venetian), 1488-1576, Uffizi Gallery , Florence

ウフィッツィ美術館の順路の最終盤の目玉でもあるウルビーノのビーナスとして知られるこの作品もまた、後の時代に大きな影響を与えました。多くの画家がこの構図のオマージュを描いています。それは主題によるところも大きいのでしょうが、実物を見ると、生々しい肌の質感や繊細な色彩の表現力は確かに同時代の作品の中で群を抜いていることがわかります。

この構図が定番化していった事情については詳しく解説されているサイトがたくさんありますが、山田五郎さんがYoutubeで赤裸々に解説してくれているものが面白いのでぜひご覧になってみてください。

ティントレット (1518–1594)

ティントレットは、ティツィアーノの影響を受けつつも、独自の劇的な光と影の使い方で知られる画家です。彼の作品は、動きと感情の表現に優れ、マニエリスムの影響も見られます。マニエリスムの影響を強く感じるような作品はアカデミア美術館に多く展示されていたと思います。

マドンナ・デッロールト教会の祭壇のティントレットの作品群。右手の「最後の審判」は代表作の一つ

ティントレットは、ベネチア本島の北部にあるカンナレージョ地区に自宅を持ち、この地区にあるマドンナ・デッロールト教会に長年勤務しました。教会内部には多くの作品が残されており、また、彼の墓もこの教会内部(上の写真の右のスペース)にあります。

この祭壇は天井に光があるわけではないのですが、上の5人がそろって前に出している右足に光が当たって浮き出ているような表現や、周囲の絵の上部に明かりを感じる画面構成の効果で、まるで上から光が射しているかのように感じます。当時の人々にとって、ここは神々しく感じたことだと思います。写真ではまるでわからないのでぜひ現地で見てきてください。

この教会があるあたりはあまり観光客が足を向けない区域ですが、このあたりにはいいレストランも多くあったりするので時間があれば散策してみたい地区でもあります。

ドゥカーレ宮殿「天国」と500人広場

そして世界最大の油彩画と言われるドゥカーレ宮殿の500人広場にある壁画「天国」も見逃せません。ただし、高齢であったティントレットはこの作品を完成させるには至らず、その息子と工房の手による分業で完成された作品です。

パオロ・ヴェロネーゼ (1528–1588)

ヴェロネーゼは華美で色彩豊かな絵画で知られています。彼の作品は宗教や神話をテーマとしたものが多く、多くの人物が描かれている群像絵画を得意としました。とにかく彼の作品は登場人物が多いです。が、多いだけでなく破綻していない絵作りが天才的です。

「カナの婚礼」とモナリザ前の群衆

モナリザの正面に展示されている「カナの婚礼」はルーブル美術館で一番大きな絵画としても有名です。みんなモナリザに夢中で見逃しがちですが、後ろを見るのもお忘れなく。こうやって見ると絵画の群衆があふれ出しているかのようですね。そういう視覚的効果も狙ってここに配置しているのかもしれません。

1556 “Esther Crowned by Assuerus” oil? on ceiling og the nave | Paolo Caliari called Il Veronese (Venetian), 1528-1588, San Sebastiano Church , Venice

ヴェロネーゼの墓があるサン・セバスティアーノ教会では、彼の絵を数多く見ることができます。例えばこの天井画。色彩の色鮮やかさもさることながら、まるで見上げているかのような構図は時代を先取りしているように感じます。同時代の天井画の中では群を抜いているのではと思いました。

あまり観光客が足を運ばないエリアですが、2番のヴァポレットでSan Basilio駅まで向かってください。そこから少し歩いた先の小さな運河沿いにあります。

ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ (1696–1770)

ティエポロは18世紀イタリアのロココ様式の代表的な作家として知られます。光と空間、色彩と筆致というベネチア派が脈々と築いてきた伝統に礎を置きつつも、ダイナミックな構図や幻想的で演劇的な表現が見られます。特に天井画やフレスコ画を得意としました。

1773 “The Three Angels Appearing to Abraham” oil on canvas | Giandomenico Tiepolo (Venetian), 1727-1804, Accademia Gallery, Venice

20代でベネチアの画家ギルドにおいて独立した画家として名を連ね、若くしてその実力は認められていましたが、ベネチア共和国自体がすでに最盛期を過ぎてしまっていた時代、やはり彼の名声はベネチア外での活躍によるものが大きく、とりわけ後年のドイツやスペインでの活躍によって国際的な名声を得ました。1950年代ドイツのヴュルツブルクでの天井が制作や、1961年にスペイン王カルロス3世の招きでマドリードに移住して手掛けた王宮での装飾画などがその代表作になります。

ティエポロの絵があるベネチアの教会は多いですが、サンポーロ教会が、ティエポロが20代前半に描いたとされる受難図(キリストが十字架にかけられるまでの一連のシーンを描いた絵)をまとめて別室で展示しているので、じっくり鑑賞することができます。成熟したティエポロの作品と比べると未熟で月並みな作品であるのですが、その才能の萌芽は見られるので訪問してみてください。

カナレット (1697–1768)

ジョヴァンニ・アントニオ・カナル、通称カナレットはベネチアの風景画を数多く残し、18世紀の最も重要な風景画家の一人として知られています。カメラ・オブスクーラという光学装置を用いて描かれた彼の精細な作品は当時の重要なコレクターによって収集され、現在では世界中の美術館が所蔵しています。ベネチアの美術館では、18世紀美術館と銘打たれているカ・レッツォーニコが彼の作品を最も多く展示していますね。

late 1720s “Piazza San Marco” Oil on Canvas | Giovanni Antonio Canal, Genannt Canalett (Venetian), 1697-1768, Metropolitan Museum, NewYork

カナレットをはじめ、ベネチアの都市景観画については、別途記事を書いているのでこちらも合わせて読んでみてください。こういうマニアックな情報は他では見つからないと思います。

18世紀の風景画と見比べてわかるベネチア今昔

まとめ

ざっと、ベネチア派の巨匠と言われる画家たちを紹介してきました。ベネチアは、他にもまだまだ多くの画家を輩出しており、それらは世界中の美術館で重要作品として展示されています。作品の技術レベルは黄金期を過ぎたとされる17世紀にも脈々と受け継がれ、発展されてティエポロに至っていることは、アカデミア美術館など時系列に展示されている作品群を見るとわかります。

ここに載せた写真は、いずれも現地で僕が実際に撮ってきたものを載せていますが、各美術館のサイトや管理団体がCC0で精細な画像をダウンロードできるようになっているものもあるので、詳しく鑑賞してみたい方は検索してみてください。ただ、やはりPCのモニター越しではどんなに解像度が高くても、実物の持つマチエールや光の反射具合などは再現できません。

ぜひ現地で、生の目で実物を鑑賞してみてください。ベネチア派が「色彩」が特徴であると言われる所以が実感できると思います。特にベネチアの教会では、その場所のために描かれた状態で残っているものを多く見ることができるので、ぜひいろんな場所をめぐってみることをおすすめします。

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