18世紀の風景画と見比べてわかるベネチア今昔

世界中を旅しているといろんな美術館や博物館にベネチアを描いた絵画が展示されていたり、ホテルにも飾られているのを非常によく見かけます。個人的にそのような絵を見つけるたびに撮影可能な場合には写真に残してきました。

カメラが発明されたのは1826年ということなので、それ以前の世界の姿は風景画家による手描きの絵でしか知り得ません。そんな昔の絵と現在の姿とをじっくりと見比べてみると、ベネチアは当時の姿をしっかりと残しつつも、細かな変化があることに気が付きます。

この記事では、ベネチア絵画と現在のベネチアの様子を見比べて、ベネチアへの理解を深めてみようという趣旨で個人的な趣味全開で書いてみたいと思います。この記事も他のコレクション系記事と同じくライフワーク的に追記していくことになると思いますので、興味がある方はお付き合いください。

サンマルコ広場周辺

大聖堂と鐘楼の景観

late 1720s “Piazza San Marco” Oil on Canvas | Giovanni Antonio Canal, Genannt Canalett (Venetian), 1697-1768, Metropolitan Museum, NewYork

やはりまず最初にサン・マルコ広場の全景を描いた絵画からいきましょう。象徴的なこの構図の絵は数多くありますが、ピックアップするのは世界三大美術館のひとつメトロポリタン美術館が保有するカナレットの作品です。

カナレットはベネチアの景観画家として最も有名と言ってよい画家です。世界中の有力な美術館が作品をコレクションしています。景色の精細さに加えて、生き生きとした人物の表現も見事な作風なので、実物を鑑賞する際にはじっくり細部に注目してみてください。ブログ用に解像度を落とした写真ではとてもその魅力は伝えきれません。

カナレットは、カメラ・オブスクーラというカメラの原形になる技術を利用して風景画を描いた画家でもあり、記録的な意味合いでもその画像の正確さについて定評があります。ちなみにフェルメールなんかもこの技術を使ったと言われていますね。

世界のフェルメール所蔵美術館巡り

さて、現在の写真と比較するとあまり変わらない様子が見て取れますが、広場の南北(写真の左右)に現在も建つ建物は、地上階は当時から現在のように商店だった一方で、上層階は貴族の住居だったということで、日除けがかけられている様子に生活感がうかがえるのが面白いところです。

現在も右手の建物(プロクラティエ・ヌオーヴェ)にある、世界最古のカフェとガイドブックなどで紹介されるカフェ・フローリアンの開店は1720年12月29日なので、カナレットのこの絵の制作時点でも存在しているはずですね。

ちなみに大聖堂は過去10年以上の間、いつ行ってもどこかが修復作業中で、なかなか完全な姿を見が見ることができません。

【早朝から深夜まで】ベネチアのサンマルコ広場観光案内

バチーノと小広場の景観

1736-38 “Piazzettz and Bacino di San Marco” Oil on Canvas | Giovanni Antonio Canal, genannt Canaletto, 1697-1768, Alte Pinakothek, Munich

ミュンヘンのピナコテークで見つけたカナレットの別構図の作品。この構図も典型的なベネチアの景観ですね。バチーノと呼ばれるサンマルコ広場とサン・ジョルジョ・マッジョーレ教会の間を結ぶ運河の入り口部分は、巨大客船が通り抜けられるほどの広さと深さがあります(なお21年8月以降、ここを巨大客船が通ることは禁じられています)。

わかりやすくドゥカーレ宮を正面に望むこの景色は、明らかに対岸のサン・ジョルジョ・ マッジョーレ島からのものですね。手持ちの写真にもこの構図がありました。若干、絵の方が縦長に見えますが、画面上の建築物はほぼ現在と変わらない様子が窺えると思います。赤く輝いて見えるのは朝焼けの光でしょうか。でも早朝からこんなに活動的に船が行き交っているのは想像できないので、この辺は演出でしょうかね。

鐘楼右手のドゥカーレ宮殿はコロナ禍後に行われていたファサードの改装が終わり、現在はずいぶんきれいな姿になったのを見ることができます。

ちなみに巨大客船がばんばんバチーノを通り抜けていた頃の写真をダニエリに泊まったときに撮っていました。ちょうど上の写真の赤枠の右側の建物の屋上から逆にサン・ジョルジョ・ マッジョーレ島の方を撮った形になりますね。当時はけん引船に曳かれて進んでいく客船から大勢の乗客が手を振っているのを一日に何度も見ることができました。※ちなみにダニエリは24年7月現在、おおがかりな改装中です

ベネチアの絶対的ホテル、ダニエリのスイートルームステイ

1840 “Venice, the Bridge of Sighs” Oil on Canvas | Joseph Mallord William Turner (British), 1775-1851 | Tate, London

イギリスの巨匠ターナーもベネチアに魅せられた一人で、1819年と1833年の2度、合わせて1ヶ月弱滞在したと言われています。ロンドンのテートブリテンには膨大なスケッチや作品が残されていますが、上の絵はボストン美術館の特別展示に貸し出されていたときに出会った一枚です。

ドゥカーレ宮殿のため息橋にフォーカスした作品ですが、ゴンドラが行き交う雰囲気は現在のベネチアの様子とも符号しますね。しかし、視点が海上からであったり、ため息橋が大きく描かれる一方、ドゥカーレ宮右手のダニエリの家屋が小さく描かれていたりと純粋な風景画とはかなり趣を異にします。

そして静謐に描かれた建物とは打って変わって抽象化された手前のゴンドラや右奥の空模様からは動的な印象を強く受け、熟達した晩年のターナーならではの絵作りを感じますね。

1730-35 “View of the Piazzetta in Venice” Oil on Canvas | Johan Anton Richter (swedish), 1665 – 1745 | Staatsgalerie Stuttgart, Stuttgart

サンマルコの運河に抜ける小広場に建つ2本の柱にも注目してみましょう。右の第一の柱には、サン・マルコ以前のベネチアの守護聖人であったサン・テオドーロの像(のレプリカ。オリジナルはドゥカーレ宮殿内に保管)が配置されています。左側の二本目の柱には、サン・マルコを象徴する有翼のライオン像が配置されています。この2本の柱は1172年から1178年の間に建てられましたが、もともと3本の予定だったもののうち1本が輸送中に失われたということのようです。

絵の中では柱の色が赤と緑に塗られていますが、他の絵画でこのような表現は見ないので、絵的な演出なのかあるいは何か祭典による特別な処置なのか。実際は左の柱は灰色、右の柱はピンク色のそれぞれ色の異なる花崗岩で作られています。

この小広場のあたりは祭典で人のピラミッドが作られている絵や集会が行われている絵なども見つけることができます。

あと細かいですが、右奥に見えるジュデッカ島の現在はチプリアー二というベネチア屈指の5つ星ホテルが存在する場所に、当時は鐘楼があるのがわかります。この鐘楼は他の絵でも見られるのでかつて本当にあったのでしょう。

そして観光客でいつもいっぱいのこの二本の柱の間では、18世紀には公開処刑が行われていたそうです。また、有翼の獅子像はナポレオンがベネチア支配後にフランスに持ち帰り、その後返却されたという来歴を持ちます。

ナポレオン翼以前のサンマルコ広場の景観

1775-80 “Piazza San Marco towards San Geminiano” Oil on Canvas | Francesco Guardi (Venezian), 1712 – 1793 | Gallerie di Palazzo Leoni Montanari, Vicenza

1797年の侵攻によりベネチアを支配下においたナポレオンは、略奪に加えてベネチアの景観に大きく手を加えました。ナポレオン翼と呼ばれる現在のサンマルコ広場西部の改造はその中でも大きなものです。現在では往時の姿を見ることはできませんが、そのナポレオン翼以前の姿が描かれた絵がヴィチェンツァの美術館に残っていました。

サンジェミニアーノと画題にある通り、当時、中央にあったサンジェミニアーノ教会は、6世紀に建てられ、1506年に絵の姿に再建されたとされています。しかし、ナポレオンの命令によって1807年にこの教会は破壊され、現在コッレール博物館が入るおなじみのあの姿へと変えられてしまいました。昔の姿のままであったならば、この広場の印象もずいぶん違ったものになっていたでしょうね。

この絵を描いたグアルディは、ベネチア派の最後の巨匠の1人とされる画家で、初期にはカナレットの影響を強く受けていましたが、後年は自由な筆使いと空気感を重視する「ピットゥーラ・ディ・トッコ」と呼ばれる画風を確立しました。この絵からもそのようなタッチが感じ取れますね。グアルディの絵も世界中の美術館に収蔵されているのを見ます。

【早朝から深夜まで】ベネチアのサンマルコ広場観光案内

サルーテ教会とプンタ・デッラ・ドガーナ

17?? “Vue du Mole devant la Zecca a Venise” Oil on Canvas | Francesco Albotto (Venetian), 1721 – 1757 | Musée des Beaux-Arts de Nantes, Nantes

最初のカナレットの絵の中央あたり、河岸部からの構図です。この構図の絵も複数ありましたが、今度はアルボットの作品をピックアップしてみます。アルボットは死後に評価が高まった都市景観画家ですが、カプリッチョと呼ばれる架空の要素を取り入れた幻想的な風景画もよく描きました。彼の作品も世界中の美術館でしばしば目にします。

さて、現在は昼間、お土産の屋台がたくさん出ているエリアですが、絵画中にもテントが貼られており、なんらかの商売が行われていた様子が伺えます。注目したいのは右手の建物の配列です。現在も残る第1の柱の奥の図書館の建物の奥にも赤い建物が並んでいます。

このエリア、現在は王の庭園と呼ばれる広大な公園になっているのですが、実はこの庭園もナポレオンの命令によって1807年に設立されたものです。いかにナポレオンが大きくベネチアの景観に手を加えたかがこの絵からも見て取れますね。

左側遠景に安藤忠雄の手で現代美術館に改装された元税関施設のプンタ・デッラ・ドガーナと、1631年の2度目のペストの大流行の終息を記念して建てられたサンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂なども見えます。このあたりもベネチアを代表する景色なので、ここを描いた絵画もよく見かけます。ちなみにサルーテ教会はコロナ禍以降、24年現在でもずっとファサードの改修工事中で、絵のような姿は見れません。

【安藤忠雄設計】ベネチアの現代美術館「プンタ・デラ・ドガーナ」
1750 “La Salute with the Punta della Dogana” Oil on Canvas | Hendrik Frans Van Lint(belgian), 1684 – 1763 | Gallerie di Palazzo Leoni Montanari, Vicenza

ということで、もう少し寄りの絵をピックアップしてみました。ベネチア出身ではない画家たちもこのようにベネチアの景観を数多く残しています。ただ、ちょっとこの絵は色具合に違和感を感じるので、現地で完成させたのではないのかもしれません。

17?? “Veduta del Canal Grande verso la chiesa della Salute” Oil on Canvas |Bernardo Bellotto (Venetian), 1722-1780, Museo Correr, Venice

サルーテ教会の絵はたくさんあるのでもう一枚別構図のものをピックアップしてみます。作者のベッロットは、カナレットの甥で、しばしばベルナルド・カナレットの名を使用していました。やはり精緻な風景描写を得意としており、陰影を強調した絵作りが特徴的です。この絵に写る左の建物は現在とは色が違いますが、窓の配置が一致するので、ベネチアの元首、アンドレア・グリッティの私宅であった現在の5つ星ホテル、グリッティパレスだと思われます。

この写真はそのグリッティパレスの運河沿いのテラス席からの写真です。現在は左奥のプンタ・デッラ・ドガーナには美術館の入り口がついていますが、税関だったころの絵の方ではこちら側に出入口はついていませんね。

ベネチア最高峰グリッティパレスの極上スイートと高級テラスディナー ベネチア

サンタ・マリア・デル・ジッリョ

1730s “Campo Santa Maria Zobenigo” Oil on Canvas | Giovanni Antonio Canal, Genannt Canalett (Venetian), 1697-1768, Metropolitan Museum, NewYork

現在5つ星ホテルのグリッティパレスがある通りのサンタ・マリア・ゾベニゴ広場沿い、バロック様式のファサードが印象的なサンタ・マリア・デル・ジッリョ教会とその周辺エリアを描いたカナレットの絵ですが、現在とは大きく異なる景観が描かれています。1681年に再建された教会の見事なファサードは今と変わらぬ姿ですが、それ以外は全部違います。現在は教会の後ろにそびえる鐘楼はありませんし、現在では教会のすぐ前にホテルが建っていてこのような構図で見ることはできないのですが、カナレットは画面を現実よりも圧縮して絵画的に仕上げるということをしばしばやっているので、この絵もそのひとつかもしれません。

ベネチア最高峰グリッティパレスの極上スイートと高級テラスディナー ベネチア

セント・アンジェロ広場?

1730s “Campo Sant’ Angelo” Oil on Canvas | Giovanni Antonio Canal, Genannt Canalett (Venetian), 1697-1768, Metropolitan Museum, NewYork

セント・アンジェロ広場という題がついていたこの絵ですが、この絵に出てくるような建物はいずれも現在の広場には見当たらず、鐘楼の形的にはサン・ポーロ教会の鐘楼がほぼ一致するんですよね。ただ、サンポーロ教会の鐘楼だとすると柱の縦に空いた窓の数が違いますし、鐘楼の横に教会があるのでこれまた現在とはかけ離れた景観です。一体、どこを描いた絵なのか謎の一枚です。

リアルト橋

1735-40 “Rialto Bridge” Oil on Canvas | Michele Marieschi (Italian), 1710-1743 | Philadelphia Museum of Art, Philadelphia

ベネチアを代表する景観といえば、当時、大運河にかかっていた唯一の橋でもあったリアルト橋の景色でしょう。ここももちろん数多くの画家が描いていますが、ここではマリエスキの作品を取り上げてみます。マリエスキもやはり世界中の美術館が所蔵している評価の高い景観画家ですが、特に彼の名声を高めたのは『Magnificentiores Selectioresque Urbis Venetiarum Prospectus』という21点のベネチアの風景を描いた版画集だということで、ベネチアのカ・レッツォーニコやロンドンのV&A博物館、ワシントンのナショナルギャラリーなどで見ることができるようです。(各美術館のDBで検索してみても、いずれも画像はunabailableとなっているので現地で見ましょう)

1780 “Grand Canal with the Rialto Bridge” Oil on Canvas | Francesco Guardi (Venetian), 1712-1793 | National Gallery of Art, Washington D.C.

もう1枚、グアルディによる引きの絵と合わせて現在の姿と比較してみましょう。まず大きく違うところは、現在はホテルリアルトのある右岸のあたりに別の建物があるのが見て取れます。現在、飲食店が軒を連ねる左岸の方は当時からの建物が残っているようですね。建物の前に大きな天蓋がかかっていますが、その下で何が行われていたのでしょうか。現在と同じく道沿いで飲食店が経営されていたのかもしれません。

サンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ広場

1743-47 “The Campo di SS. Giovanni e Paolo” Oil on Canvas | Bernardo Bellotto (Venetian), 1722-1780 | National Gallery of Art, Washington D.C.
1721-57 “Campo dei Santi Giovanni e Paolo with the Scuola Grande di San Marco” Oil on Canvas | Francesco Albootto (Venetian), 1742-1750 | Gallerie di Palazzo Leoni Montanari, Vicenza

25人ものベネチアの総督(ドージェ)が埋葬されているベネチアでも重要な教会のひとつ、サンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ教会の前の広場を描いた作品の朝夕の景色を描いた絵画を2つ並べてみました。

二人の絵はいずれも同じ場所から描いたように見えますが、現在、上の写真の右端に写る建物の中で描かれたのでしょうか。果たして当時からこの建物があったのか。あったのだとすれば、ここの家主は画家たちに部屋を貸すなどして生計の足しにしていたのだろうかなどと空想が広がります。

ベネチアでは、個人崇拝を避ける共和国の理念に基づき、個人の記念像を都市の中心広場に置くことが避けられてきました。馬上のバルトロメーオ・コッレオーニはベネチアに大きく貢献した傭兵隊長で、その遺言で対トルコ戦の費用として10万ドゥカーティを寄贈する代わりに、自身の騎馬像をサン・マルコ広場に建てるよう要求したのですが、サンマルコ”広場”ではなく、2つの絵の中央に写るサンマルコ”同信会館”の前に置かれたという歴史的な経緯を持ちます。この話はベニスの商人にも描かれるようなベネチア人らしい狡猾さを象徴するエピソードの一つとして語られます。

このあたりの事情は塩野七生さんの傑作「海の都の物語」に詳しいので興味のある方はぜひ読んでみてください。

【旅する前に読んでおきたい】おすすめのベネチア本まとめ

フェスタ・デル・レデントーレ

1648-1650 “La Processione Del Redentore” Oil on Canvas | Joseph Heintz Il Giovane(Augsburger), 1600? -1678, Museo Correr, Venice

こちらは17世紀に描かれたドイツ出身でベネチアで活躍したジョヴァーネの作品。18世紀絵画ではありませんが、ちょっと意義深い絵なので取り上げておきます。

1575年から1577年にかけての1度目のペストの流行によって、ベネチアでは人口の三分の一、5万人もの人が亡くなったと記録されています。このペストの終息を記念してジュデッカ島に建築されたのが、この絵の主役でもあるレデントーレ教会です。

この教会は巨匠パッラーディオの建築によるものとしても有名ですが、もう一つ、この絵のように7月の第3土曜日に年に一日だけ対岸のザッテレとの間に334mもの長さの橋がかけられる「Festa del Redentore」というペスト終息を記念したイベントの舞台としても有名です。

僕も偶然このお祭りのタイミングでベネチアに滞在したことがあり、当時は何も知らずにこの橋を渡り、その夜、サンマルコ広場で大勢が一斉に風船を空に飛ばしたり、花火が打ちあがるのを楽しみました。現在も続くこのお祭りが関ケ原の頃から続いていると思うとなかなか感慨深いものがあります。写真は絵に描かれている橋の上から撮ったものですね。

サン・ミケーレ島

1770s “The Island of San Michele” Oil on Canvas | Francesco Guardi(Venetian), 1712-1793, Metropolitan Museum, NewYork

空港からベネチア本島に向かうとき、最初の到着駅のムラーノ島の前に最初に出迎えてくれるのがベネチアの死者が眠る墓の島、サンミケーレ島です。位置関係は空港から見てムラーノ島よりも本島側にあるのですが、ラグーンを避けて引かれた航路の関係で、一番最初に間近に見えるのがこの絵のような景色になります。ベネチア共和国1000年の先人たちが出迎えるというのは、気軽に訪れようとする無知な旅人たちにその歴史の重みを思い出させようとしているかのようで、なんとも感慨深い演出だなとここを通るたびに思います。

絵の構図に近い上の写真は、NHコレクションというベネチアで最大の庭を持つという5つ星ホテルの沿岸部から撮った現在のサン・ミケーレ島の写真です。これと見比べるとわかるのですが、この画角で描こうとすると、海上から見るしかないのですが、どうやってこの絵は描かれたのでしょうかね。

絵と現在の姿で大きく違うところは、現在は島を囲うようにレンガの壁があるところですね。この壁が神聖な領域であることを演出しているように感じます。

ゴンドラの姿に着目

絵の中で着目すべきはもちろん景観だけではありません。そこに写る人々の営みにこそ現在との違いが浮かび上がってきます。まず何より気になるのは、現在は観光客のアトラクションに成り下がってしまったゴンドラのありようです。

現在は動力船が行き交う運河ですが、すべての船が手漕ぎで運行されていた当時の船には、必ず漕ぎ手の姿があります。荷物なども運搬されていた日常の様子が描かれていますね。

また、運搬船以外のゴンドラには必ず屋根がついています。今はこのようなゴンドラは運河で見ることはできません。観光気分を楽しむためのゴンドラと、生活の中の移動手段としてのゴンドラの違いがこのようなところに現れてくるわけですね。赤い布が被された絵や、黒い籠がゴンドラにはまっている絵をよく見ます。

この景観画に必ず描かれている黒い籠が気になりますが、カ・レッツォーニコに展示されているのを見ました。うまくゴンドラにはまるようになっているんですね。ジュデッカ島北岸の中央あたりにあるギャラリーの入り口に、実際にはまっているゴンドラが無造作に置かれているので、そこでも見ることができます。

ベネチアとマスク

1746 “Il Ridotto di Palazzo Dandolo a San Moise” Oil on Canvas | Francesco Guardi(Venetian), 1712-1793, Ca’ Rezzonico, Venice

現在はカーニバルの装束として、あるいはお土産として使われる象徴的なマスクですが、ベネチアにおいてある種、重要な役割を果たしてきました。実際、ベネチア絵画ではマスクを被った人が描かれているのをよく見ます。ここでは、景観画ではありませんが、グアルディのこの絵がとてもわかりやすいので取り上げてみます。

この絵の題名にもなっているリドットというのは、パラッツォ・ダンドロの一部として開設されたヨーロッパ初の公認カジノです(実はカジノという言葉はベネチアが発祥です)。規制をかいくぐって行われてきた違法賭博を統制するために設立されたものでしたが、そこでマスクを被り、身分を隠して興じる人々の姿が描かれています。

この絵に登場する白いマスクはバウタと呼ばれるもので、三角帽子とマントがセットになり、匿名性を保ちながらも話をしたり食事をすることができる装束です。その起源は13世紀まで遡ることができ、当初、ベネチアでは様々な身分の人たちが自由に交流できる手段として機能しました。政府によってさまざまな規制が設けられ、その役割は変遷しつつも、匿名性を求める人々のもとで生き永らえていきました。

また、絵の中に女性が顔全体を隠す黒いマスク描かれていますが、これはモレッタというもので、この時代に人気を博したものです。口に小さなピンを含んで保持しているため話ができず、無言のマスクと呼ばれました。

日常的にマスクを被って生活するという姿は、我々はなかなか想像できませんが、ネット上で匿名やハンドルネームで活動しているのもある種これに似たようなものだなと思います。その意味では、ベネチアのマスク規制の歴史などを見ると、ネット規制の歴史に通ずるものがあって、なかなか味わい深いです。

まとめ

最後、少し脱線しましたが、多少の変化はありつつも、ベネチアの景観がいかに昔の面影を維持できているかがなんとなく伝わったのではないでしょうか。

まだまだ載せ足りていませんが、ひとまずこちらで筆を置きます。今回は省きましたが、カナレットの版画なんかも当時の世相がよくわかるので別途記事化してみてもいいくらいなんですよね。

また、ベネチア景観画は今後もいろんなところで探していくので、面白いものを見つけたら記事を更新していきます。

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